AKKEY LIFE

TOP

Monthly Archives

2026年
2025年
2024年
2023年
2022年
2021年
2020年
2019年
2018年
2017年
雨の日の蝉
雨の日の蝉

朝方雨の音で目を覚ますと、それが妙に変な雨脚の音だったので気になる。最近多かった。もう雨の日が何日も続いているので、日照時間不足による、野菜への影響が気になった。一人でそんな事を考えてみてもどうなるわけでもなかったのだが。ここにいるということの他には、認識できることは少ない。特に天候に関しては一般庶民は傘を差すか、逃げることの他には。さっきは外に出た時、自転車のシートを確認した。公園の水たまりは降った雨の残ったまま、消えてはいなかった。手には傘をいつも持っている。意識では、忘れないようにしようと思っていた。でも、よく忘れたのだけれど。この間もそうだったけれど、角を曲がった向こうからいつも現れる自転車や車。目は、それを捉えることはできない。ある程度来ることを予想することしかできなかった。しかし、危険にさらされる事は多かったのだが。時折自分の中で持たれる、そこで、景色への興味を持つことを謹んでいても、現れた車をかわすことはなかなか難しかった。例えば、旅客機の空の一点から見る窓の外の景色はいつも美しいのだが、でも、それが墜落中なのだとしても、一瞬の美しさを捉えようと人の意識を集中することに似ているように。

鈴虫は今日も鳴いているようだった。そこに目的を持っているわけでもなく。あるいはそれは、コオロギなのかも知れなかった。周囲の木からは何も、蝉のいなくなった、静けさだけがそこにじっと漂う。その静けさの、でも、そこから無くなった、先祖の木は山の記憶を持っているのかも知れなかった。仲間と枝を伸ばした林の、実際は何もしていなかった、その記憶の日の当たっていた場所で。人はこの街のどこに行くのだろう。実際は何も手にしなかった手で、それを持っているのだと思うことで。また止みそうになっている外の雨脚は強くなるのかも知れなかったのだが、何をそこでしても防ぐことはできない。誰もがそうだと知っている、でも、わからないままで。