秋の日の夜
いつの間にか日が暮れて、この、何であることもなくした体だけのある時。鈴虫の音だけが暗がりから今日も聞こえる。食欲の秋とはいえど、油っこいものは体が受け付けず、串カツ田中のリブランディングも窮地に立たされているようにも思えた。思わぬ臨時収入で、また積立を力強く再開していこうかと思っていた。だから、金がなかった年度初めあたりからそれがまったくできていなかった。この上昇相場、絶対にビッグウェーブにのるしかなかった。そう思いながら、僕は手をこまねいていたわけである。そしてチルド餃子やシュウマイは食わないことにしていた。僕は給食で出たものでさえ、変なものが入っている気がしたからだ。実際腹痛をよく起こした。だから広州商人で食っていたのだ。だが、でも、それは近くにないから食えていなかったのだ。
街はもう日が暮れて、何も見えない。それだけの時間の中だった。夏に行われた花火大会はどこか呆けたような雰囲気で、来年はもうやらないのではないかと何となく思えた。そう、それはただの形の無い光の爆発だった。特別閲覧席を作ったことが、この状況を生み出しているのかもしれないと思う。それを花火として見ることが、どのような意味を持つのかをそこで理解することで。その日、つまり、そこにあったラーメン屋は空っぽだったのだ。そのことが、そこで事実として認識されたのだ。でも、見ていたそこから入ることもなく。僕にとって旅を続けることだけが正しいのだと、ただ、歩き続けては、道を知って。