ベトナムコーヒーばっかりを
ベトナムコーヒーばっかりを

ぼんやりとしているだけの、ただ、流れる時間に昔のことを思い出すのは幸せなことなのだろう。でも、そこにいた誰もがもう、忘れたようなことを僕は思えていたのだ。もう店では見かけなくなったような、無印の商品だとか。秋葉原の、賑わっていた頃の路地裏の風景。今ではもう、そこを訪れる人すらもいなかった。だけど何のために人が集まるのかはわからない。そこにいなかったはずの、自分自身の存在確認のようにも思わされる。何か買うものがあるわけでもない。そこで、やりたいことがあるはずもなかった。どこか、あきらめに似た風だけが、オーディオ屋の視聴する客への敵意にも似たものとして思い出させられた。そこに何も意味はないのだが。また、そして、新宿だった。ここも、怪しいレコードショップがあったはずだったのだ。気づいたら、そこにいくことすらもなくなっていたけれど。

この自分であることを、わからせるのはどんなものだろう。豪華な食事だろうか。それとも、ときに手に取る、本なのだろうか。わからなかった。旅行先で見かけた、景色や、人、乗り物の類。見るものは人それぞれだ。体験も、人ぞれぞれ。ただ、誰もが、そこで何かをしようとはするものだ。動物といたりもするだろう。彫像や、自然、海などの前にいたりもするのかもしれない。今日も、でも、時が過ぎるものだった。どんな自分であろうとしても、思うような自分になることはできないし、日の暮れることを止めることはできない。月は駆け足で空を走り、太陽がまた昇ってくる。祈ることぐらいが、その人にできることのすべてなのだろう。それ以外は、思いつかなかった。