日記を書くこととは
自分であるということをこういうふうに日記を書けば表現できるのかは疑問だ。多くはくだらない叙述で終わる。そうではなくても、書くことは、意味を何も持たない行為だと、そこで思うというわけでもなく。最近は水を飲みすぎた。暑すぎる部屋で。冷房は高いので控えたいし、喉を痛めるのならむしろ下痢になった方がマシだろう。しかし、EVを広めるのは、頓挫させられたし、石炭発電を推進するしで、ひどい世の中の流れになったものだった。ホルムズ海峡だけが唯一の救いだと思わされるのは皮肉なものである。いや、エネルギーだけでなくアメリカの暴走を止めるのにも役立っているのだ。でもそのうち欧州が支援に回るのでは、とも思える。それぐらいイランは政治圧力の被害者なのだ。今日は近くの工場まで歩いた。僕はそれ自体を目的にしたけれど子供の頃はそこでどんな他愛のないことでも感動できたのはなぜだろう。子供の頃は、自分が何者であるかという束縛は、そこになかったからだろう。その肉体以外には。そんな気がする。
ハエは減ったのだけれど蚊は減ってはいないようだ。どちらかといえば逆のほうが良かった。コオロギとかバッタは本当にいなくなった。特に、それで困ることはなかったのだけれど。特にコロナが終わってから、そう思うようになった気がする。