風がだんだんと涼しくなってきて、秋も近いのかと、やっと思いはじめている。地球は自転していることを感じる瞬間だ。そうではなくても、それを、アレルギーの状態で否応なく知らされるのだけれど。自転車のカバーの状態が悪いので、新しいものを買い直した。SONOS用のスタンドも必要に思える。メシを近くで食べていると、メッシュの中に飛沫が入るからだった。そしてどこかに車で出かけたくもなってくる。例えば温泉だとかに。でも、そうしたい願望を持つことだけが、今の僕にとっては全てだった。何かを手にした時、そこに存在するものは少しばかりの喜びを残して崩れて消えていくのが常なのだ。そうであるようにたぶん思えた。虫の音が聞こえていた。ここはもうマンションの上階ではないので。
夜道を歩いていると、暗がりの中に、東南アジアの景色が思い出される。僕の泊まった安ホテルだとかを。僕はそこでは朝食は無かったが、あのホテルでは、ちょっとしたプールの脇で、オードブルをサーブしてくれたものだった。僕はそれを食っていた。テーブルには、アメリカや中国から来ていた多種多様な異国人がいた。ベトナムにはドイツ人が意外に多かった。きっと、兵器が好きなのだろうと、彼らを見ながら思った。そうではないにしても、彼らが仏教から感じるものは何だろうと思わされていた。僕はそれから、防空壕として使用されたトンネルを回るツアーに参加して、途中の射撃場で、AK25というソ連製の銃を試し打ちしたりした。しかし、森の中にあのようなトラップやアリの巣のような部屋を作るということができるベトナム人というのは、恐ろしい生命力だと言うふうに僕は思った。それから、ジョリビーというフィリピン発のファーストフード店のミートソースパスタを買って、ホテルに帰ってきた。僕は初日から市場で財布をすられて、憂鬱な気持ちだった。翌日は同じ市場で、ベトナムコーヒーを買ってみたが、それは美味しかった。やはり本場なので、僕はどこの店でそれを飲んでも、不味いと思ったことはなかった。しかし、僕の買った銃弾でできたキーホルダーは、帰りの空港で、でも、回収されてしまった。そして、ジッポーのライターは中を取り除けば持ち帰ることができるのだということがネットに出ているのを僕は知った。角を曲がった向こうに、今でもスリがいるのではないかと時々思う。人に対して用心深くなれるようになったのは、良い経験だった。