五反田のベランダ


眠気を抱えていたのだ。きっと、今夜も熱帯夜になりそうだということを、ぼんやりと、頭の隅で考えていた。僕はこの先どうなるのだろうということを、時々考える。様々な東南アジアへの旅行で、どんな苦境の中でも生きている人の姿を、この目ではっきりと、僕は目にしてきたわけだったが。かつては、五反田のマンションで暮らしていた日々だった。あれは、オークションで生計を立てていた頃、隣の部屋からは、若いカップルの男の、女に捧げているかのようなラップの声が力強く響き渡っていたものだった。そして、向かいのマンションからは別のやや年上のカップルの青姦の甲高い声が、真夏の夜空に気持ちよく響き渡っていたものだった。その過密で、狭すぎるマンションに住めたのは2年が限界で、すぐに、荷物をくるんで出ていったのだが。僕は近所のファミリーマートに、良く、オークションで売れた品を持っていっていた。時々懐かしい友達から連絡があったりして、彼らが、次々と知らない世界の誰かと結婚していた頃のことだった…。
僕は当時はまだエレキギターを引いていた。僕は、しかし、自分であることを肯定すること以外の、何を目指してエレキを弾いていたのかがわからなかったのだ。そして目黒川に自転車を飛ばしていたのである。僕はその後松戸に住んだり、目黒に住んだりしていた。時々、休日に外を歩くと、まだ、すれ違う景色や人々が、単なる穏やかな休日の風景として僕にはぼんやりと感覚できていた頃でもある。しかし、何かを追い続けることで、何かを、僕は失ってきたのだ。そしてどれだけの時間を追い続けることで無駄にしてきたのかが、まだ、僕には、はっきりとはわからなかったのだ。