

僕は昔、神奈川で暮らしていた。4年ほどだろうか。自転車で、失業給付金を受け取りに、相模大野から、職安のある相模原まで行っていたのだ。色々な瞬間を思い出すと、僕は、何かを追いかけていた気がする。セールがはじまると、レンタルCDを時々僕は借りに出かけたものだった。当時は様々なジャンルのj-popが、そして、流行っていた。今は、しかし、当時夢中になっていた作品自体を聴くということもあまりなくなったのはなぜだろう。オリコンチャートの中では、毎週毎週、激戦が繰り広げられていたものだった。当時は人々にとって、好きなバンドや歌手を言うこと自体が、その人のパーソナリティーを表す簡単な指標にもなっていたものである。それは、今考えてみると、なんとなく、節度を超えたような、滑稽な事象でもあるわけだったが。
僕は時々何かを思い出すのだ。そして、すぐにそれ自体を忘れさせられていく。僕は自分が何なのかという、そのことをいつも、知りたいと思っていた。先行きの見えない日本の将来についてを、心の隅では心配していた。日本が今後アメリカと中国という巨大国家の間でどう国力を維持していくべきなのかを。そのようなことを考えては、また、なにかメモ書きのようなものを机に残して、僕は、そして、ベッドで眠った。ただ人々は何も、思ったことや考えたことといったことについての意見を口にすることは、今後も無いのだろう。考えるということ自体先進国と言われるこの国の教育の中では何も教育現場で与えられてはこなかったものの一つだ。僕は高校時代に、そのように、単に事象についてを暗記するのではなく、歴史について考えるというような一風変わった授業をある教師から教えられていたことがある。しかしそのような教育は暗記を中心とした受験の中では、全く役に立たなかったのも紛れもない事実なのであった。そして、ある知り合いは、あの授業は全く役に立たないということを、確か電車の中で言っていたのだった。