角の無印とユニクロと

急に冷え、暑さが一段落。僕は、隣町まで本を取りに出かけた。商店街に並んでいる飲食店はただでさえネットを活用した販売に需要を奪われていたということを考えると、かなり、今は厳しいだろうと思う。店の外に弁当を出して、通行人に、売っていた。そして本屋が存在する意味や、スーパーが存在する意味について、僕は考えていた。わざわざ店内に入って食事していた風景の意味についてを、こういう事があると、考えてしまう。さらに発信される紙やwebのメディアの中には隠されているかのような情報もあり、ロックフェスにしても、家でCDを大音量で聞けば事足りるように、大勢で情報を共有する意味自体、本来そこにはあまり無いのである。今、ネット上は芸能人の不倫のスキャンダルで持ちきりだ。僕が思うに彼は、幼少期に虐待を受けていたか甘やかされていたかのどちらかだと考えている。その話を聞いたとき、これは間違いなく性依存症の症状によるものだと直観した。かつての、しかしラジオの中からは、そんなことは全く感じさせられないような、冷静沈着な声が響いていたが…。あまり愛情を感じさせれることなく育ってきた非人間的トラウマが、どちらにしても彼自身の精神の根底には存在し、恐らく、彼の兄弟も同じような育てられ方をしていたら、同じような病を持っていることだろうと思っていた。奥さんの複雑な生い立ちも間違いなく影響しており、この問題の中では無視できないポイントの一つとなっている。そして、パーソナルな自分と、社会的な自分との二面性を持つというのも、そのような病の特徴なのである…。

部屋には、ルームウェア並に耐久性に欠けた服。あまり安すぎる服というのも、どうなのだろう。最近は、僕も衝動を抑えきれずに、洋服を買っては返しを繰り返しているというわけだが。低価格で多様な服が手に入るようになったのは、良いことだと思う。しかしzaraもユニクロももう、僕は飽きてしまった。探している…。ほかに安くて、面白い服は市場にないのかを。でも、zaraを面白いと思わなくなったのはなぜだろう。今後も中国に排出ガスを出されるのは良くないことだが。今と昔では旅行に対して求めているものはやはり違うのだと思いながら、今日は昔の旅行の写真を僕は見ていた。やはりロックやアートではなくて、食べ物や乗り物に対して、今は執着していまう。そう思うこと自体、不思議なことだったが、20代の頃とは見ているものの観点自体が違うのかも知れない。