文章を書くことと、マンゴーベイで
  • キレイな色したサンゴで

 

水筒を漂白剤に漬け込んでいるが、完全には汚れはとれない様相で‥。この間、タイでのシュノーケリングの話を会社でしたら、何が楽しかったのかというような顔をされてしまい、参っている。昔書いていたライブドアの日記を今日は読んだりしていた。無意味な詩や文章をのせるのなら、日記を書いていたほうがマシだったと気付かされた‥。あの頃は20代も間もない頃。世の中を知らなかったけれど、行動も考えも自由だった‥。

 

一人で出かけた海外旅行。そういったことが、確実に記憶に残っている。友達と遊んだりしたことではない。ギターを弾いたり、文章を書いたりもしたけれど。レストランから見た風景や、航空機から見た外の夜景。それは不思議な事だ。昔のことは、その他の多くは覚えていない。仕事場で誰かに会ったり、遊んだりもしたけれど。あいつは今何をしているのだろうと時々思っても、今は当時の彼や彼女は存在しないからかもしれない‥。しかし風景や食べ物はそこに残り続けるのだ。当時の自分が見ていたものとして‥。そこには若かった頃の自分が存在していた。今の自分と重ね合わせて、変わったものがあるのだろうかというふうに。

 

旅行の方は、ナンユアン島からもう一度船に乗り、マンゴーベイなどを回った。そこはサンゴがカラフルで美しい湾だったが、写真のテクが微妙でショットを残せていない。出港前、日本人の大学生男子tと言葉を交わした。日本人は彼だけだった‥。彼はバイトで、日本のホステルの店員をやっているという。そこで語学をみがいているのだとか。彼はスキューバの講習も受けていて、ロープロという水中撮影可能なカメラも持っていた。高性能かつ高価そうな品で、うらやましかった。時々、彼はラテン系のように見える男性と言葉を交わしていた。そしてバンコクは騙されるので嫌いですと言った。こういう田舎のほうが人がいいのだと。私もなんとなくそんな気がした。彼とは、日本人の案内するツアーが高いということで意見が一致した。湾に着くと、船をとめたスタッフは飛び込めという。男を見せようと思ったが、彼女のいる欧米人が最初にそこへ飛び込んだ。

 

魚影がかなり濃い。水中はオレンジ色のサンゴが広がる幻想的な世界だった‥。見飽きるほどの様々な魚が海底から海面に渡って展開していた。華々しい世界に、これなら、ダイビングする必要はないように思われたけれど。私はそこでアイフォンを動画にして使ったほうがうまく撮れることに気づいた。そして、ボタンを押すときは海面から出してからというやり方を体得した。ところで、昔書いていた文章と、今書いている文章のどこが違っているのかを、時々考えたりする。文章を書くということは、エッセイなどを除くと絵やイラストや音楽と違って、簡単そうに見えて実はとても難しいことだと考えている。創作というよりも語学と時々似ていると思うこともある。それは音や形の意識を積み重ねていくと言うよりも、膨大な量の言葉を頭の中に蓄積させ、記憶していくという点においてだ。そういった意味で、辞書の中にある言葉の一つ一つの言語を体得していくという行為に近いものが文章を書くということにはあるように私には思える。