EV市場を考察する春

昔見ていたことのある光景のような、今日だった。でも、よく晴れていた。過去のことを忘れさせられたみたいに。僕は生きているということを感じたのだ。僕は確かにこうしているのだと思った過去に。しかし株価は最近は冴えない動きを続けている、年初から高騰し続けてきた自分に立ち返るようにして。今までの遊びを続けていた子どもの自分のことに飽きた子どもみたいに、自らの心の成長に気付かされた。だけど、ほんの少し、子どもの心は残されて。小学校の終わりみたいに、もう、友達と楽しい遊びばかりはやっていられなかったのだ。中学校の終わりみたいに、反抗し続けてきたことの無意味さが虚しくそこにはあったのだ。僕は時々実家の、田んぼの多かった景色のことを思い出す。秋の、焼けた稲の、匂いを。小川が流れていて、そして、バスが多くいた。僕は田舎で育って良かった。それが釣れたからだ。

またアメリカのどこかのevの会社が破産しかけていた。調べると、成功したテスラからは裏目に出たかのような逆の経営をしていた。中国でも多くの会社が倒産したようだ。サービスやスマホなどとは違って、最初は膨大な借金経営となるのが機械関連のスタートアップだ。そういったこともあって、今までは既存の会社の独占状態で、新規参入は難しかった。しかし、中国に乱立したメーカーの数からわかるように、evを作ることは、これまでのエンジン車に比べるとそこまで難しいことではない。これは勝つか負けるかの世界だ。この曖昧な局面を打開するのはHVのような廃れた過去の技術ではない。価格も、ほとんど一過性のものだ。やはり今evにあるのは利便性ではなく快適性と乗り心地と加速力が主要なものとしてあって、サンデードライバーのような富裕者層にどうアプローチするのかが私は重要になるように思える。あとは燃費で、これは、商用車としての使い勝手が鍵となるだろう。