春の景色を歩く

何かを考えることで見えるものは、見えない。思うことなく、あれはいつだっただろうということは寒さの中で知らされるもの。そして、同じ、暑かったり寒かったりするような季節の到来は苦手だ。待っていない日が出てくるのを僕は待ったりはしない。目を閉じていた。ユニクロを毎週のように訪れながら、僕はファッションの持つ面白さを感じ取っている。昔感じたことのある、ときめきのようなものとしての面白さの不在を‥、すでにヘッドポーターにできていた列も無く、国産のブランドにおける価値を求めることはあきらめたのだ。しかし、それはすでに失われたものなのだ。今日は自転車を走らせてみるも風は冷たく、この間のような暖かさを思わさせられた。アブラナは、数が、今年は少なく、秋に駆られた影響も僕のいた景色にはあるのかもしれなかった。それとも、振り返ったところには、影響は無いのだろうか。桜のように立ち止まる人を見かけた気がした。

そして、遠くの遊郭があったとされる場所では、まだ、咲いている桜が見えた。僕は、そこまでは歩いてはいかなかったが。存在する色を見るだけで近づきたくなるのはなぜなのだ。春は、景色の存在に否定的になる日本人の心を感じるのだ。道に見えた角を曲がる。僕はそんなことはないという人もいるのかもしれなかった。でも、僕はそうではないと思っていたのだ。