この街のどこかで

少し外の冷たい風を感じさせられながらも、走っていた。明日には良いことでもあるさと、マンションの光っていた通路の下を走ってきた。生きていることは不確かなことばかりだが、死んでいることは氷のように冷たい世界に思えるように感じていた。断言しないのは、まだそうなったことはなかったからだ。そして、僕はベトナムで飲んだフルーツジュースの味を思い出す。そこは、若者同士で作ったような喫茶店だった。日本では、もう、そのような店を見かけること自体少なくなったが。市内では、地下鉄が建設中のようだった。でも、バイクの向こうに見えた看板には日本の建設会社の文字が、確かに、見えたのだけれど。部屋に戻ってくると、妙に暑く感じるのは、外気に当たっていないせいなのではあるが、それは、あまり良いことのようには思えなかった。交感神経を鍛えること以上に陽の光を浴びなければならないという必要性の方を僕は感じるからだ。

僕は時々日曜日は将棋を見ている。そして、外を行く、色々な積み荷を積んだトラックを見ている。その、絶え間のない流れに公害にどのくらい影響しているのかを考えることがある。そんなとき、いつも、僕は静岡から運ばれてきた茶を飲んでいるのだが。