Sense of the day

何かを思うことが、悲しい景色には見える。僕は生きている。自分を生きていた。窓の外では電車が通り過ぎていく、走る、草の生えた線路の上の行く先には、人の待っている次の駅があった。僕は思い浮かべる、楽しげに電車に乗る人の姿を、僕の、線路を感じているときに、街に影の差している間も、誰かが交通事故でこの世を去っているときも。でも、生きていることは常にすべてが新しい。僕の、その過去を感じているとき、遠くにある公園に落ちていた缶詰は光っていた。葉が、ベンチの上で瞬間としての絵画のような佇まいを見せると、チラシがどこからか飛んできて、上に上がって屋根の向こうに、また、消えていった。