他人としての人生

思っていた何かを見ている、何かではない景色に、あるものを。流れていくのは、今は何だろうと思う。恵比寿駅で見ていたホームのようなものだろうか。それとも、でも、よくわからない。家に帰る時の道を歩いていた。橋を一つ、また一つと渡ると、亀が何匹か小島にしがみついているのが見えた。どこに向かって歩いているのか、僕にはよくわからないけれど、腕時計をしているのだということだけは、でも、感じていた。雲も同じようにして、頭上を追い越していく。時が流れているということを、交差点で立ち止まって、そして、考えていた。イケアに行ってきたのだろう、人が、袋を持っている姿が見える。CDショップだった頃は、いつも出かけていた、僕は、毎週のようにランキングを見に‥、でも、思っていたようなチャートではいつも無かったことを、交差点を見るたびに思い出している。

僕はあの頃は、良く、カウントダウンtvを見ていたけれど、僕は、そこに僕の知らない意外な歌手が入っていると、僕は面白かったと、今日も、しっかりと目に浮かぶし、覚えている。僕はどこに行くというわけでもなく、そういったテレビを見ては、友達と、僕は、そのことについてを話していた。ラジオでも、カウントダウン番組に夢中になり、カウントダウンされる曲を待っては、今日は、しないけれど、でも、録音していたものだった。

今は何をするにもネットの中になってしまったのだ。そこで、泳ぐということすらも、ネットの中では可能なように思えるのだ。でも、僕はそのようなことはしない。目を使うことに疲れているからだ。不意に賭け事をすることを思い浮かべる。日常に飽きていたからかもしれない。旅行をするのも気分転換には良いだろうと思う。でも、僕には使える金が無かった。いつも、ネットで見て、旅行に出かけたいと、思ってはいたのだけれど、部屋に存在することだけで出かけようとは思わなかったのだ。