夢の中の日曜日
昔のことを思いながら白い椅子に座っている時に、僕は思う、存在しない家に帰るのだ。目を閉じて、遠くに道を感じることで。テーブルに置かれた白いコップを見ている。目を開くと知っている、感覚の無意味さと、生きていくことを否定された時間を。トンネルを抜けると、まっすぐな草が揺れている。感覚することは虚構であると思う。何かを感じていている自分が存在することで、懐かしい時計は回り続けている。外はいつのまにか、春の日曜日、いろいろなものが、そして、目的地に向かって動いている。角を曲がると、現れるまっすぐな道を行く。僕は夢の景色を生きている。帰る道を探しているのだ。