春の交差点
特に何も思うこともなく、窓の、見ていた外。株価を見ると、急落していた。アメリカの景気はこれからどうなるのかまったく予想はつかないが、何となくこういった相場の時こそ買いではあると思う。今はコロナにロシアの侵攻といった迷いのときではあるが、しかし、そういった混乱の後に株が下がることはありえないからだ。常に、時代は次のステージに向かっていく。立ち止まることは多少の変動はあれど、無いだろう。朝は、そんなことを考えながら起きたのだが鼻が詰まって安眠もできず、苦しかった。そこまで花粉症ではないのだが、暑い時期が、来るのだろうかと、また思う、昨日は、予約をヘアサロンに入れようと思ったが、満席でとれなかった。三ヶ月と、株ではないのだが、かなり髪は伸びているうえ、焼きそばは食べ飽きていた。
今のところ夜中のランニングは続いているのだ。でも、腰が、業務後だと固くなっているのがよくわかるのだ。かなり走ってはいるのだが、固さが、Uターンするところでも、残っている。最近の厚底シューズは好記録が狙えるものらしいが負担が体にはかかっているという。そのようなものを作り続けていくことだけが、進化だとは言えないだろうと僕は考えていた。僕の見ていたのは、でこぼこの夜道にできていた水たまりだ。その、僕の過去の足の捉える感覚を覚えていた。中学生の頃の、感覚の僕ではあったが、でも、高校生のようにも、感覚としては思えた。どこに、思い出はあるのだろう。ここから見えるものは、不確かだった。車が、横に走っていく。自らを確かめるように、場所に。遠い、どこかに。でも、知っていたのだ。僕はそこにある意味が見えたのだ。