イチゴに飽きた夜

昔僕は生きていた。遠くに見えた街の景色を、そして歩いていた。ソリッドなデザインのベンチに、腰掛けていた。フランスでは庶民的なレストランも無く、トルコ料理のファーストフード風の店にいつも行っていた。サンドイッチのような簡単な料理。昼間に行くと、ビジネスマン風の男が携帯で通話していた。日が差していて、気持ちの良い日だった。車が走っていたが、運河の周りでは、テーブルで卓球をしている姿も見られた。春だったのだが、落ち葉が落ちているようにも見えたあの時。交差点には、古いデザインの信号機、映画で見たことがあった気がする、鉄道の車窓。でも、違ったかもしれない。

タクシーに乗る金を惜しんで、メトロばかり利用していたら、子供のスリに良く遭っていた。手口は単純だったが、財布をとられかけた。財布がどこのポケット入っているのか、よくわかっているらしいような、手慣れた手口だった。スリはドアが締まる直前にタイミングよく、出ていった。夜は見知らぬイタリア人と話をしていた。彼は、日本では仕事はあるのかなど、聞いてきた。恋人のような人を連れていたのに、こんなドミトリに、なぜと思わされた。窓が開いていても特に外と変わらない温度の夜、春なのに風もなく花粉も皆無で日本よりも圧倒的に過ごしやすい気候。冬は寒いとは聞くが‥。翌日はよく晴れていて、広場の噴水に置かれたアートモニュメントの周りで日光浴する人たちを見た。誰もが、何かをするわけでもなく、ただ、座っている。似たような景色をロンドンで見た。芝生があると上に座りたがる人たち。そこでは、石畳の上だったのだが。僕のロンドンの印象はピカデリーサーカスの石像で、なんだかそこに駆け上っていた。それ以外は、よく覚えていない、列車の椅子で、どうとも思わないような女の子が前には座っていて、向こうには景色が流れていた。

僕は思っているのだ。思っていないことは無いぐらいに、思いで頭は満たされているのである。空虚であることは罪だ。多くは幻想であっても。冬の外を走ると、でも、遠くから歩いてくる人と、すれ違う。それからまた、遠くから歩いてくる人とすれ違っている。