誰かであることを考えながら窓の外を見ていた。日の暮れかけた窓の外、西日の当たる背の高いマンションの壁。午前中に出かけた皮膚科と薬局、それからパスタを作った。amazonミュージックで、無料の音楽を再生する、でも僕の体が再生するということもなく。人は自分の時間の中で物事を感じ取るということはあまりなく、年をとると、自分の置かれている状況によって物事を感じ取るのだということに気づかされる。通りは、年の開けの静けさも無く、日常を取り戻している、高校生が集団になって坂を下ってくる景色、テストの話でもしているのかもしれない。僕の部屋の冷蔵庫には買ってきたままのホッケの干物が入っていた。それから、年末に捨てた二組のスニーカーのことを考えていた。それらを買ったのはコロナになる前だということを考えていた。かかとの減りとともに流れた日々。僕の出かけた逗子や、夜の舞浜の景色、立っていた電車から見えた場所の木や光を思い出していた。
あいつは今はどうしているのだろう。僕の昼ごはんを食べに行ったあの日。よく覚えていない、彼の親の顔と、庭。感覚として残る、ガレージに置かれていたカローラのブレーキランプ。盗癖が当時、僕にはあった。僕は何も彼からは盗まなかったと思う、幼稚園を出ると突如として始まった算数や国語などの勉強に、学校の成績は悪く、親に怒られてばかりいた。坂の下に住んでいた友達とはよく遊んでいた。僕は高校を辞めて音楽事務所で働いていたと聞いていた彼に高校からの帰り道に手を振ったことがある。同じ通りに住んでいた男は、舞浜に引っ越していった。僕は、彼とも良く遊んでいたけれど、彼の部屋に通されたことは無かった。僕は特に、二人からは何も盗むことは無かったと思う。仲間の間で流行っていたカードやシールを、強引に交換するということは、確かあったとは思うけれど。僕は、でも、その後、シールを取り返しに来た彼に、シールを返すと、彼はまた家に引き換えしていった時のことを覚えている。カーテンを閉めると、また、訪れる夜。子供の頃出かけた習い事。夜になると兄を迎えにバスの送迎場所に母と出かけた。そこにいた年上の子供と仲良くなった。家からは短い距離だった。今の僕と同じような歳の男が、停留所にはいたのかもしれない。ロータリーは、まだあたらしい住宅地の真ん中で、光を放っているように見えた。街はまだ、新しかった。新しい世代の人達が、入れ替わるようにして居住していた。でも、何かが途絶えてしまったように、今の、僕には思えた。今もまだある、床屋と、車のディーラーを除いては。それらを、産業と呼べるのかどうかは人の判断に任せるとして、僕は歩く、今日も。