僕はこの間のサッカーの録画を見ていると、昔、良く見ていた試合を思い出す。イタリア対フランスの、決勝だったと思う、バッジョが途中出場した試合だった。プレステxの中に、その映像を入れていたから、よく見ていた。後半の短い時間だったが、天才的なドリブルをしたりボレーシュートを何度も放っていた試合だった。ゴールシーンは無かったが、人を感動させるには瞬間的ではあったが十分な内容だったのである。僕は今はもう、そのプレステを売ってしまったので、見ることはできないのだが。その中にはサタデーナイトライブに出演したニルバーナの映像も入れていたのだ。そして、おそらく彼の、最高のパフォーマンスだったのかもしれないと思われた映像を。今でも思い出すけれど、そういったことに固執もしてはいられないとも思うのである。
何かそういった人やものの頂点を極めた輝きというのは、確かにあるように思う。「ラブストーリーは突然に」や「ロンバケ」といったドラマなども同じなのだろう。役者や音楽の集まったものやことの瞬間によって生み出されたものとしての、作品。時々、若い頃は何気なくそういったドラマも見たりもしていた。そのことについて、誰かと話もしていたけれど、でも、ああいったドラマや音楽は、やはりそう何度も発表されるわけでもなく、いつのまにか消えてしまっていた。サッカーも同じで、きっと、人の才能と大会のタイミングといったものが重ならないことには感動的なサッカーは見ることができないのである。そんなことを今日は考えていた。
僕はどこにいくのだろうかと思うのだ。考えることは、何も進めることはなかった。走りきったものたちだけの、つかんだ栄光を、そこで見る。休日に時々歩いていた河原の景色と、サブスクから流れていた音楽のようなむなしさ。ブックオフで、いつもクーポンで10円でマンガを買うので煙たがられていることを感じさせられていた。そうすることの意味を旗として見るのなら、どのような色をしているのだろうか。スーパーの袋詰中に思わさせられる、そして、どのような、人生を。