久しぶりに寝坊した朝

生きていることで口にするのだと思う、言葉を。遠くには見えているものはない。道が続いていることを感じさせられている。しながわ水族館で見たことのあるイルカショーのような感覚を、遠くに感じながら、日記を読み返している時に。桜が咲いていて散った時期だったと思う、息は白くはなかったからだ。外に吹いていた風を覚えているからだ。何の変哲もなかったあのショーを。

首の後ろがつるというか、少しこっているようだったが、以前に比べて治療院にアクセスしづらい場所なので行くのは面倒だったのだ。ただ、やばい状態のサインはあるのでいかざるを得なくなることもあるのだ。頭痛のような形でそれは現れる。年齢とともに変化しているのかもしれないが。肌の状態はアンテベートでどうにか維持されている、デルモベートを使おうと思うけれど、肌が薄くなって、暑くなってくると危険なことになるのが怖かった。薬を強くすのは簡単だが、弱くするのは難しいのである。ちょうど、電車の停車する時のテクニックのように。飛行機の離着陸のように。先週の日曜日にスタバに行った。カフェラテのスモールサイズで420円。やはり高いと思った。ただサンマルクも足並みを揃えている。やすいのはドトールかベローチェである。埼玉ではファミリー層向けの店が多いのでなかなかなかったりするのだが。

今朝はアラームを入れ忘れていて、起きることができなかった。いつもは、そんなことはないのだが、油断していたようだった。今朝は、そんなこともあって、いそいで支度をしたけれど、失業していたのなら用意をさせられる必要もなく寝ていられたのだと思う。昔初出社の日に寝坊したことを思い出させられた。今朝はそんなこともなく怒られることはなかったけれど、明日からはと、その時は言われたものだった。失業していた頃に河原から見ていた空とそこから続いていた道は、平日だというのに人が休日のように歩いていた、まるで失業者のように。僕は仕事になんとかありついて、働きだしていた。なんとか、でもあの頃は、給付日にすらも遅刻する有様で、ホームから職安に電話をしていた僕がいた。それから、2,3件の面接を入れたが職安までのアクセスが悪く、ほとんどネットで探していた僕だった。