カタールなどについてを思う夜

何かを思うことは車の流れを見ているだけの、そんな、混沌の中に立っているような気分だった。サッカーを見るのにも飽きたので、外にでかけた。トイレットペーパーを買いに、歩道橋を渡って近所のドラッグストアへと向かう時に、時々昔のことを思い出しながら、下を走り抜けていた車を見ていた僕はいた。同じ車なのにバンコクで見ていた車線とは違って見えるのはなぜだろうと、でも、日本の車はブレーキを踏む頻度が多すぎるように見えた。思うことの中で感じ取ることが多いように。赤信号が多すぎると「サーファー感覚」でありつづける事が困難になるのである。僕はどこかのタイミングで羽織りの服を干さなければと思う、夏の間はしまっていたので、奇妙な匂いがしていた。こうしているときだけでも、匂うものがある。感じることがないように干さなければというふうに思っていた。今はゴールにはボールは入っていない。グラウンドの上で回転しているだけだった。人や、ボール、そして目や観戦者の頭の中が。今後伝えられるであろう終了と、緑の芝と、開催国の責任者の抱いていた思い。海に囲まれていた国の中腹にある空港から選手たちはやってきた。バスを、多くの国のメンバーは使って。もう、同時多発テロは昔の事なので、テロ対策と呼べるものは取られていなかった。でも、肩を組みながら彼らはやってきたのだ。バスはカタールの少しだけ暑い高速を速度を上げて走った。誰も、中に誰が乗っているのかは、知らなかった。それに見ていた人は、忙しく働いていたのだと思う。その中の一人はレストランで働いていたウエイトレスであったりもした。