ワードプレスのコントロール

僕は先週は多忙で、疲れさせられていた。しかし働くということも、早朝からであったとしても非常に疲れる。でも、10年前もこのぐらい働かされていたものだったのである。自分が、存在している自分では無くなっていくような感覚なのだ。無意識のうちに、体が、抵抗力などを失っているということに気づかされる。実はそれは危険な状態であって、虫歯であったり、風邪などにかかりやすくなっているものなので、注意が必要な状態なのである。僕は今日歩いていた路地を思い出す。

昼間は日が照っていたが少し寒く、僕は身をすくめて歩いていた。公園の隣りにある、かつて入っていたことのある、美容室。その人とは親しい間柄になっていたが、そこがある日ホットペッパーをやめたので行かなくなってしまった。そのようなことも、かつて、時にはあった。引っ越したので、もう、行かなくなる鍼灸院など。ポイントを、やはり僕としては使いたかったし、もらったりもしたかった。ホットペッパーを使えば、特に予約はしやすいものだった。いつもの小道には風はなかったが、軒下には洗濯ばさみでタオルが干してあったりした。それは、やや長手の、濃い紫色のタオルだった。

本屋に行くと、やはり僕は雑誌をのぞいてしまうものだった。でもそこには、ネットには出ていないような情報が、多く存在していた。ナショジオの、火星の写真の雑誌には、しかし、心惹かれるものがあった。僕は、でも、生きていくこと自体に疲れていた。それを買うのは、僕は、そして、やめておいた。雑誌自体に、メルカリ以外で金を出したことは、ずっと無い。僕は、たぶん、ここ20年を思い出して考えてみても、本の購入に2千円も使っていないのだと思うのだ。

そして、午後は暮れていくようだった。手にとった雑誌の、そこにあったつややかな感触。タリーズの中にいた色々な人々。そこで、彼らはコーヒーを飲んでいたのだろうか。昔そこで、隣に座っていた人を僕は思い出す。かつて、その人が書いていた手紙の色や形を。無意味であるように思えていたことも、この目には、すでに思い出せないようだ。時間というものは、形を持たないがゆえに消費されたことに気づきづらい。年齢という感覚を持つことは、若い人ほど必要なのだ。流行が希薄になった今は、流れた時間の多さを、誰かに口にする機会も少ないものだ。それはある意味、明確なようでいて、危険なことでもあるのだが。