
今日の朝方はケンウッドのスピーカーが届いたので、それを使って音楽を聴いていた。定価2万だが、受賞機であるという理由もあって、仕入れてみた機種だ。今回の機種は、以前に仕入れた同じケンウッドとは対照的に、男性ボーカルによく映えるような音だった。J-POPに限っては、それ以上に、よく鳴らすような機種だった。洋楽全般はしかし、不得意な様子。やはり洋楽はJBLかBOSEが適しているように思わされた。BOSEはそれ以上に、何にでも合う。BOSEはそんなふうに非常にオールマイティなブランドなのである。そういった意味でも、ラジオを聴くにはBOSEはテキメンのブランドなのだと言えないわけではないのかもしれない。
そんなあまり意味のないことを、ひとり、虚しく考えていた…。スピーカーのセッティングのため、本棚の不要になっていたマンガをいくつかくくった。それは、アイズという、一昔前のマンガだ。昔は最先端を感じさせられていただけに、顔の描き方がかなりすでに古い感じがした。それ以上に古い作品であるらんまもめくってみたが、全く古さを感じさせられなかったのは、不思議だ…。そういった作品というのは、どういったところで売れていたのかということを、僕は立ち止まって、深く考えてしまう。少年向けの恋愛マンガのみならず、ワンピースにしてもドラゴンボールにしても新しいマンガが登場するたびに、作品自体が古く懐かしくなっていく。それらが、少年向けの似たようなジャンルの一つであるというのが理由の一つ。そう考えると、らんまやタッチといった作品はカテゴライズが難しい位置づけの作品として扱われ、少年向けなのかスポ根なのかどうなのかがわかりづらい作品であるというところが、あまり古さを感じさせない作品として見られるような重要なポイントになっているのかもしれない。そういった作品は同じジャンルの中で既存の感覚を塗り替えるような作品が現れない限り手塚作品に対する大友作品や宮崎作品の位置づけのように、なかなか古いものにはなりえないのである…。
日曜日は、代々木公園で、SALYUを鑑賞していた。監視員の目が、非常に厳しかった…。しかし、公園の中はあの広い公園の中で子供や大人が所狭しと暴れまわっていた…。非常に多い人手だった。昨今の経済は日本を除いたアジアや中国に利権が回りつつあると、ネットを見ると、書いてあった。アジアは、それ以上に、感染者が欧米と比較すると非常に少ないのはなぜなのだろう。生活習慣というものが占めるものも、大きいと思う。しかし、振り返ると、一気に5年ぐらい時代が先に飛んだ感じのする2020年だった。