
エレキギターを売って、スピーカーを買いだしたのだ。と言っても、安物だが。大きさと、メーカーで、音の違いはかなり感じさせられた。アンプの違いは、メーカーや価格による違いはそれほどでもないが、スピーカーとなると、大きく変化するものである。しかし、やはり、トータリティなのかもしれないが。そして、こういったオーディオ鑑賞といった行為は、非常に自己実現的で、ある意味寂しいものである…。盆栽や楽器演奏のほうが、まだ、誰かの心に、共感するものとして響くものである…。それはボイトレと少しだけ似ている。歌を上手に歌えたところで、聴いていくれる人なくしては、歌はあまり意味の無いものだからだ。それは本来、プロの歌手であったとしてもーー料理や数々の娯楽と比べて多くの人が心地良いとは、あまり思わないものなのである…。
街は今日も、人で溢れていた。HISには、シャッターが降ろされていた。トイレットペーパーの争奪戦も遠い昔のことのように人の記憶には残されている。しかしコロナは、街の流行のように潮が引くように去ることはない。現実を突きつけるかのように、日々、スマホの画面に報道される感染者数。この感染症が過去のものになるには、予想することが無意味なことのように思えるぐらいに少し時間がかかるようだった。一体、この感染症が蔓延した原因は何だったのか。それを考えることのほうがワクチンを開発しようとすること以上に、必要なことであるように僕の中では思わされている。まず、地球上から季節とよべるものが失われつつあるということ。夏の急激な暑さと、暖冬は、深刻さを増している。温暖化が、00年代に入ってから急拡大したのだ。栄華を誇った恐竜が絶滅したように、種の繁栄は神によって、衰退を余儀なくされるものである。人間など、生態系からみれば、ちっぽけな生き物である。その一つが極端にバランスを崩せば、今回のような感染症の拡大によってーー他の要素によるそれを是正するためのサインをもたらされるものなのである。