
僕は野菜や食べ物などにもウイルスが付着しているということを聞いたのだ。そこまで行くと、しかし、その対応はかなり難しい。なにせトレペが僕は、一月以上買えていないのである。僕はアマゾンで高いものを買うかどうかを悩んでいる。ただ桜というのは、拝めて3日ほどなのだ。イタリアの死者数を見ながら、僕は心の中で、憂鬱な気持ちになっていた。イタリアの死者数はすでに一万人を越えたのである。これは福島の震災に匹敵する規模の被害だ。こういった危機的状況下では、それとも、統制の取れた国のほうが功を奏するのか?注目される点ではある。恐らく、僕はそうなのだと考えていたが…。今は僕が営業をしていたころの日曜日の終わりのような気分だ。僕は声を出すことが、でも、かなり苦手なのである。そしてああいった僕のいた会社が、伸長していくということも滑稽に思える。滑稽といえば中国で、死者数と感染者数が増加しないのは、その事自体を僕は不気味に感じさせられた。こういったケースでは情報が普段から開示されている国のほうが、信憑性がある。そして、部屋で耳を澄ましてみると、交通量が少ないように僕は感じさせられた。でも、車に乗らないということが、そこでなにか意味をなすのかどうかはわからなかった。
そして一週間前青空の下で一人で、桜を見て回っていた時のことを思い出していた。今日は、でも、もう、桜は見飽きたので、街を歩いた。酒場などは閉まってはいなかったが、やはり人の気配がなくなっていた。僕としても、今は外で食事をする気分にはあまりなれなかった。だから部屋でバナナを食べた。そしてコーヒーを口にしていた。不動前の桜はすでに、ほとんど散ってしまっていたようである。そして僕は駅前のドーナツ屋を、覗き込んだ。チュロスがあるのかどうかを、ただ、確認するためだけに。