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奇妙な雰囲気の電車に乗って、花見に行ってきた。普段ならば、人で賑わうはずのこの、花見の時期だった。花見ごときで空気感染するほど、人の体はやわにできてはいないことは、何となく僕は知っていた。もちろん、魔女の宅急便も、昨日は見ていた。ラストシーンのヒロインの救出は、あんなにあっけなかったかと思ったが。キキの魔法を使う時の姿が、この映画の見どころの一つ。作者のファンタジー性が、そこまで加速していなかった頃。実は僕はこの映画は映画館で鑑賞していた…。子供の頃、それほど仲の良くはなかった友達三人と。映画といえば、アラレちゃんも印象に残っている。親と見た。そういった子供の頃の経験は、今の自分とつながっているのかもしれない。僕は、そんなわけで、雨雲レーダーとにらめっこしながら、でかけた。花見の自粛というのは…、トイレットペーパーを買い急ぐことに似た日本人的な倒錯行為ではある。桜なんてものは、一年のうちで一度見られるか見られないかという、案外希少なものだ。それを、手をこまねいて我慢しているというのは…。
そんな事も忘れて僕は歩いた。店は閑散としている。どこかうつむいたおじさん。顔を上げたカップル。憂鬱な顔の、女性。シートを広げている人はいなかった。ニトリが、バルスだった頃を思い出す。大人の街になることはできなかったというか。炭酸ワインを飲むことはできなかった。もともとそんなに、好きではない。もうめっきり、喫茶店にはいることもなくなった僕は、家路につく。風評というのは、ここまで人の行動に影響を与えるものなのだ…。宇宙人からしても、それはもったいない行為かもしれない…。そして、某バンドのメンバーとゲームセンターでプレイした宇宙船の体感ゲームを思い出す。彼はビックリマンシールを忘れてきてしまうほど、それに妙に感動していたみたいだった。それが如実に、今のシリアスな作品につながっているということを考えると、複雑な心境にさせられるわけだが…。そんな、人もまばらで閑散としていた今日の不動前駅のホームを思い出す。