
成功した友人の事を考えながら、マスクの家路をたどっていた夜。でも、ティッシュペーパーもトイレットペーパーも手に入れられずに、肩を落として帰宅する。昨日は四谷で撮影で、でも、足が棒のようになってしまっていた。僕のもうひとりの、そして、成功した友人のことを話そう。恐らく彼らの名を知らない者はきっと、日本にはあまりいないことだろう…。彼らは僕の回りにいたよく知る友達だった。卒業アルバムを見て、熱狂したファンが僕のことを友達だと思って今でも手紙を実家に送ってきたりする。実際、一人のメンバーを除いては仲が良かったし、よく話していた…。本当に僕とは中学生時代は身近だった彼ら。
そういった友達のことを思い出させられながらこの歳になっても自分についてを時々考えたりもするのだ。自分が、なぜ、そういった身近にいた成功者とは首の皮一つで無縁だったのかということを。多くの、親交のあった友達や、数少ない女の子のこと。自分にはなぜそれがないのかをいろいろな角度から検証してみるけれど、理解することができなかった。文化芸能に限らず、学問にも秀でたものは周りには多くいたものだった。社会に出てからは、太い枠組みの中でそういったことは全くなくなったものだった。そういう意味で、人生、面白いのは中学生ぐらいまでかもと、時々考える。無意味なオッサンになれば一芸に秀でた人と関わりを持つのはもう、不可能だ。
昔はそう、僕はあいつとよく、遊んでいた。君は、僕が口にしたどんな言葉にも振り向いてくれたっけ。いつも、学校が終わると二人で、日が暮れるまで、今じゃ誰もが羨むような君との、贅沢過ぎる時間を共有していた。君とまた、いつか近所のゲームセンターに行く日は来るのだろうか。無邪気だった君の、そして、楽しい家に行く日は来るのだろうか…。