多摩川の果てに

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僕は今日、夕暮れの光を見たのだ。そして何もすることもなく、僕は多摩川の畔にいた。僕はボール遊びをする人たちの間を歩いていた。そして僕がここに来たのは何度目なのかを思い出そうとしていた。そして、木々がいくつも昨年の台風の影響でなぎ倒されているのを見た。誰も、僕とは関わる者のいないどこまでも広がる風景の中。不確かなものだけが心の有り様を確かにしていくのかもしれないと、住所不定者の住居の立ち並ぶ道を歩きながら、考えていた。台風の前までは、恐らく、存在はしなかっであろう住居をそこで見た。このように荒廃した景観こそが、彼らにとっては好都合な場所なのかもしれなかった。それから、僕は、涙は人の目からどうして流れるのだろうということを考えていた。ずっと不幸な状況の中にあっては、涙が人の目から流されることはない。かつて手にした光があったからこそ、涙は人の目から流されるのかもしれないということに、そこで、僕は、
しかし少しだけ気づいたのだった。
先の方から来た道を戻ると、もう、日は暮れていた。来る時に見かけた野球をする人の姿はそこにない。川の流れがかなり変わっていて、ルアー釣りの釣り場として使うには、すでにかなり難しいのかもしれないということにそこで気づいた。今年は気候変動の影響で、スキー場の経営が悪化したのだという。きっと世界の中で誰かがそういったものを是正する声を上げなければ、今後、人の穏やかに暮らせる環境は今後も減っていくことが予想された。