日暮れの多摩川で

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ぼんやりと道を歩いていた。川べりの先の、どこかへと。多摩川の土手は秋の増水の影響で、木々などが反り返り、津波の後のような荒廃した風景にガラッと変わっていた。泥も、くぼみの場所がどこだったのかすでにわからないぐらいに、堤防のブロックにねっとりと堆積している。所々で、通行禁止の立て札が遮っていた。すでに、シーバスを釣ることができた場所に入ることもできないようである。僕は歩きながら、そんな、どこまで行っても人気のない土手で故郷の景色を思い出していた。僕の育った故郷も、ちょうどこんな風に、どこまで行っても誰と会うこともない道が、延々と続いていたものである。田舎の人というのも、誰ともすれ違うこともない日が、都会の人とは比べ物にならないくらいに多いように思われた。よく、テレビ番組でも、最近はそういった田舎の道を歩き続ける番組をやってたりするものだ。カンボジアも、そんな感じの風景だった。ただどこか、海外なので、明らかに寂しさを感じさせない何かがそこにはあったのだけれど。そんな今日は、あまり焼かないでほうれん草を食べていたら、フォーに入れたあの硬い野菜の味を思い出させられた。軽犯罪が多いので、食べ物一つ食べようにも、そこは、落ち着かない場所だった。犯罪者は子供かもしれないし、あの人なのかもしれない。敵が、どこに潜んでいるのか、まったく、見当もつかないのである…。

最近はバンプオブチキンの曲に頭を埋め尽くされている…。これだけ一般的な歌謡曲?が流行らないことになってくると、彼らに軍配は上がりそうだった。そして、Jポップと言うには、やや曲調に問題の有りそうな突っ張った曲。海外アーティストと比較してみたところの、ローリング・ストーンズ風の、誰かだろうか…。20代の、いや、若者の10代、それも前半向けのやや閉鎖的でアツい歌詞内容。尾崎豊だって聴いていたら好んできいていたことだろう…。それぐらいナルシスティックで、真撃な感じはあった。それと、ねごともよく聞いている…。MP3という特殊なメディアにも、よくあっているのではないだろうか…。ゆったりしているというよりも音域が狭めで切り替えの早い感じのする調べ。そんなふうに現代は、とにかく、音も歌詞も密度濃くというのが、その感覚なのだろうけれど、最近は聴くのに疲れた。スマホもつけずに、川をどこまでも、ただ、歩いた。そこで、人を見るのもいやになるというくらいに。