
夏場に街に出てくる変態おじさんたち。部屋にいても眩しいし暑いからだということが、すぐに想起される。彼らのカッコウは一様に控えめで、決して高いものは身につけられてはいない…。時にはシャツをズボンに入れたスーツと見紛うばかりのカッコウでもある。そういった様相を眺めながら、僕もその流れに乗ることが必要なのかもしれないということを、眠る時に時々考える。しかし休みでもスラックスにシャツ、革靴というのも普通なのかどうかはわからないが…。電車の隅で、派手な格好をしたり突拍子もない行動をしているような輩にコンニャロ光線を発していたりする人も見かける。それはもしかすると、抑制の効いた紳士的な態度なのだと感じられる方も多いことだろう。だがそれは時として、人間的なーー創作的な態度が欠如したことの現れのようにも時として感じられてしまうわけだが…。
土曜日はマッサージをしにわざわざ吉祥寺へ。クーポンでやすかったから、仕方がなかったというわけだった。中央線に乗っていると、わりと長い駅のスパンの中で前述したような、みょうななりの人が多かった…。しかしそれは偏見で、自由が丘だろうがどこだろうが、そういうコンセプトの人はいる場所にはいるわけだ。原宿あたりで乗ってきた女の子三人組と、目がうつろな顔の、外回り中のサラリーマンの生み出す強烈なコントラスト。夏は、その短い時間の暑さによるものだからかわからないけれどーー日本人の人生のあり相をそこに浮き彫りにするのかもしれない。人が一旦街に出てくれば、そういった風な、選挙では覆い隠されていた人々の真実の姿も丸見えになる。そういう私も、日がなアダルト動画を見たり、漫画を読んでいたり、今こうして仕事もしていないのにこっそりマッサージにでかけているという状況があるわけだ。
マッサージの方は、ワカモノだったが腕は確かで、かなり効いた。指圧はコツがいるようで、微妙なところもあったけれど、鍼は集中力が必要だからかもしれないが、若い人のほうがうまい場合が多い。デザイン仕事はと言うと、若い人でもできる人はできるのかもしれない。今の仕事は大味ではないというのが、まず一つ。そうなると、デザインも考え方も狡猾になる。変化していたり、丁寧だったり、繊細だったり。線がとにかく、見えないぐらいに細いところもある。かと思うとダイナミックかつ太くなっていたり。空いた胃にコーヒーを流し込みながら、私情の介在しない談義をしたりされたり。本音がないので、それが何ヶ月も続くと、人自体が怖くなってくる。前の会社でも現れた症状だ。表面的な態度の向こうにあるものを、知りたくなる。しかしそれを知ったところで一切の意味が無いと、価値を見いだせないということが、今の社会では多い気がする…。