バンコクの乗合バスと、故郷への帰郷
  • 人気の耐えなかった道は暗く閑散としていた

 

最近の僕はというと、ステロイドをまた服用し始めた…。言いようもないほど、寒さと乾燥で、全身にかさぶたができはじめると、とにかく痛い。毎年薬を飲みながら、僕は、春が早くこないかと待ち続けるのが常。しかし、今年の夏は、アレルギーが全快しなかった。歳をとるにつれ、体自体の抵抗力が弱くなっていくように感じられる。運動をしなければと思うが、時間が、学生のようには、少し足りない。

 

年末は15年ぶりぐらいに帰郷し、そして、年賀状も出してみた。誰もが、僕と会ったり関わることを、なんとなく煙たがっているよう。歳をとるとそうなってしまうのかと思うが…。故郷は、もうすでに若い人はそこには住んでいないという。僕が街を出てから、国による適当かつ急進的な開発がすすめられていたおかげで、一気に地域の高齢化が進んでいた。地下も急落し、東京のベッドタウンだというのに、ほとんどこの地域では、家を売っても価値はすでに無くなったのだという。にぎやかだった駅前も昔あったスーパーも本屋もなくなり、葬儀屋ばかりの看板が目立つ。かつてあった若者相手だったCDショップ、焼肉屋、エロや服の店も跡形もなく姿を消し、人の寄り付かないような、悲しい店の織りなす風景へと変貌を遂げてしまった。

 

僕はあの日バンコクで、やがてターミナルにやってきたバスに乗ったことを思い出す。ディーゼルエンジンのかなりのオンボロバスで、それは、ローカルで利用されているような乗合バスだった…。僕は揺れの少ないと思われた前の方に立ち、つり革につかまっていた。20代から30代と、年齢は、若い人が多かったかもしれない。彼らの様相は、平日だというのに、日本の、若者で溢れた休日の電車のようにも思われた。前に立っていた男が、バンドの動画を、いつもそうするようにスマホで見ていた…。僕は時々、今いる場所をwifiでチェックする。渋滞で、バスはゆっくりと進んでいた。運転手は、40代後半ぐらいの、真面目な感じの男。僕は、ほしマンゴーをエンジンルームの上に置いていた。僕のことを気にしているような、若い女性が隣に。外には、会社から帰る若い人の波。薄暗い明かりの下で、ギターを持った若い男が、そこに立っていた。昔バンドブームの頃、日本でも見かけた風景。ただ彼の場合は明らかに生活のためにやっているようだった。

 

僕は様々な光や風景を、そこで見ていた…。やがて席が空いて、僕は座った。故障で、立ち往生したタクシー。僕は、バスの乗務員に降りるよう促された。彼女に、乗る時に空港に行くのかどうかを聞いていたから。外の暗がりの中を歩いた。空港へ向かう線路の高架橋を渡り、敷地に入る。ロータリーのところで、すれ違う同い年ぐらいの男が、女と遊んできたのだろう、というような意味合いの顔を、僕に向けた。深夜のフライトまで時間があったので、いつものように残りの金を、そこで使い切ることにした。