センシティブ感覚

理由や意図のようなものがあることが常に人間の存在においては重要視されると私は考えている。常に、気分のようなものではないということが。私は最近、そんなことを考えている‥。人の存在価値を決めるものに関する洞察というか。意識しすぎているのかもしれないが。例えば、休日のスタバで見かける人たち。年齢、存在理由、逆に、平日にいる人の考えや意図は。場所柄が赤坂だと服装から考えるとどのような収入や仕事の人たちなのかだとか。とても複雑な思考が常で、最近外に出るのが若干疲れる。

 

カフェからはじまり服屋がその典型で、年齢と収入、風貌などを店員に瞬時に判断されるというか‥。特に高額なブランドになるほどなので、今の私はあまり立ち入ることができない場所でもある。部屋を出る時に物凄く疲れるからだ。フェスやライブも同じようなもので、年齢や服装を間違えると、地に足のつかないうわついた時間が待っている。見聞きするもの全てが、単なる自分の好みの問題でもないのかも知れないというふうに。