橋の向こう側の今

昔のことを思い出しながら、ここに無かった、目を閉じている。そこにあった目は確かにあったのだけれど。2つのイメージのせめぎあいの中で、自転車で下ったり、登ったりしたあの道、当時はバスが、まだ、良く釣れたものだった。そしてブルーギルが多すぎたというのが、川や沼をアメリカ化させたというあの頃を知る人の見解は真実で正しい。だけどそれ以前に僕は、もう当時の白い顔の僕ではなかった。それとも僕はそこにいたのだろうかと思う。今と変わらない、同じである時間の中で。
中学に入って新しく覚えた道だった。僕は知らなかった人と知り合いになった。暗がりの中を、僕はいつものように必死で家に自転車を走らせた。