桜が咲いていた

海外からの労働者向けの、飲食店がなんとなく駅前はできている気がする。僕は、興味があるというわけではない。その存在があるということを、心の何処かで知っているということだけで。でも、そして、思っていたりもした。気にしているのだった。桜がコンビニの裏では咲いていた。夜だったので、どのような枝なのかはわからなかったけれど。僕はそれを立ち止まって、見た。その桜が咲いたという短いひとときを噛みしめるようにして。冬の間は見えた星は、雲に隠れてもう、見えない。暗闇は、事物を存在させるものだとわかる。しかし、事物としてではなく。昼の光は、形態を明らかにしながらも、何も見せてはいないのかもしれない。しかし、それは形態なのだ。時々現れるのは、ベンチに座っている人。カップラーメンを食べていたり、彼らはスマホを見ている。僕にはその心境を察することができたのだ。それが一体どういうことなのかを言い表すことはできないけれど。昼間はそれが、テーブルの上、ベンチの下や、上や、堤防の上など、あちこちに散乱している。それを、誰も気にする人もなく、通り過ぎている、景色だけがある。いつものように、川が、流れる。僕はそんな光景を今日も思い出しているのだ。