雨の街のどこかから

何かを思いながら遠くを見ていると、雨が降っていた。どこにいくのだろうということを時々思うことがある。無料で配られていたコーヒーを飲んでいる時に、自分であることは不確かだと思うのだ。何をしていても、どこにいても。新しくできたホームに、乗り入れする、銀座線の景色。生きていることは不確かなことだと思っていた。僕はどこに行くのだろうかと思う。去年までは外を動くことをすることすら躊躇させられた街は人であふれる。本を買いに行くことすらも僕は難しかった。今はそうではないということを主張するように人であふれる街並みを歩く。何も考えていなかった。僕も釣られて歩いているように思えた。人は流れていた。まだ雨は降り続いている。傘をささずに行く人はいない。そして何も雨の音はしていない。昔この街に来たときのことを思っていた。何を僕はしているのかと思う。僕の思うことをだろう。帰りに寄った店では目当ての商品は売っていなかった。やはり郊外の方が価格的には安いことが多いがそれは敷地面積の土地代によるものだろう。どこで誰に会おうと思うこともなく、昨日のライブのことを思い出す。それを鑑賞することの意味を思う。それは、どういった意味を持つ行為なのだろうと、思っていた。sは特に、今も仕事を変えることもなく働いているようだった。昼は、その日は、焼きそばを家で食べてきていた。彼と挟んでいた分厚い木のテーブル、でも、充電しようと思っていたが、周囲にコンセントの見当たらない時間が流れていた。

店を出ると、駅に向かって歩いた。すれ違う人に去年までの面影はない。空いていたテナントにも店が入り始めているようだった。ミズノのダウンを着ていた女性が風俗店への呼込みをしている。僕は道幅に広がったような外人の集団とすれ違う。ハワイでも、似たような光景が、見られそうだった。僕は整備された道と充実したサービスの提供された街の景色が思い浮かぶ。僕の懐にはそんな場所に行く金もなく気力すらも失われているように思えた。場所を変えたところで得られるものはわずかだが、今日吹いている風は、もっと意味のあるものを与えている。僕はそんな気がしていた。地下鉄に向かう階段を降りる。今日見ていたライブの持つ意味を思いながら歩いていたのだ。僕はコーヒーを二杯のんだ。少し胃が荒れているということは感じていたのだ。そして街でコーヒーは一日でどのくらい消費されるのかを考えながら職安の前やコンクリートの上を歩いたのだ。でも、たこ焼き屋に久しぶりに入りたいと思ったのだ。そうすることは、なかったのだが。