何か思うことは無いかと、外を見ていた午後、今日は休みだったが外にも出られず。昨日買っておいたパンを焼いて食べると美味しかった。ただ280円で分量的には4食ほどで今後は食べるのかどうかは微妙だった。以前イタリア製の食パンがコンビニに例外的に置いてあって、覚えていたその味と比較するとそちらのほうが美味しかったのだが、高品質な小麦とはいえ米的な何かを感じさせられるというのが正直な感想であり、どこか味気なさのようなものが余韻として口の中に漂った。最近料理についてよく考えるのだが、店それぞれの味の違いを決めているのはほぼダシのような気がしている、レシピを見ているとそこに書かれているウェイパーや味の素で、別にそれはその商品を使わずしても自分オリジナルで作ることができる。同じようなことが麦や米、養殖魚の生産過程でも言え、どのような飼料などでそれを育てたかによって味は変わるように思える、窓の外を、そんなことを考えながら見ていた。車がひっきりなしに動いている。車が動くことで得られるものは、希薄だ。今やネット上で物が運べる時代だからである、夜が訪れて光が輝きだしている時間、昔販売会議の帰り道に先輩の運転する車で千鳥町付近を走りながら、解雇された上司のことを話していたことを思い出していた。ナビは夜間モードだったが車はどこに立ち寄ることもなく走り続けていた。
コブクロの歌が流れていた頃だったように記憶している。街に現れていた弾き語りの若者姿が消えかけていた頃のこと、上野の繁華街で僕はオムニバスのCDを買ったのだが僕は今でもその盤を持っている、どこにあるのかわからないしほとんど聞かないのだけれど、僕はこのあたりの街についてよく思うことがある、取り決めの整備された街でないと高層化された建物が立って死ぬ物件が増えると。目黒や西東京はそれがしっかりと決められているように僕は思えたが、中央線で走っているとそのことがよく分かった。出ていく時に、また、考えようと思う、でもそのような街の方が街のあり方として正しいと感じている、部屋のカーテンを閉めて何をするべきなのかを思っていた。流れる時は立ち止まらない。昔の写真を時々眺める、HMVが渋谷にまだあった頃を、イケアの次はどのようなテナントがあのビルには入るのだろう。太陽光パネルの会社かもしれない。その事業は失敗したと聞いたことがあるが、その効率の悪さゆえに僕自身取り入れたいと思ったことは無かった。
何処に行くのだろうと思う。見ているものは現れることもなくテック株の持続性は、彼らの努力次第というところからすると、成長の余地はあると思っている、そしてまわりには温泉はない。何かを知ることすらも消えた雨は降り続いているのでゴミ箱を買うのは来週にしようと思う。