すでにいない僕

昔僕は、NYCのアートギャラリーで。窓の外から、巨大な絵を見ている時、涼しい風が吹き込んでいた…。静かな、人気のない、倉庫街だった…。誰とすれ違うこともない通路を、僕は友人と歩いていた。時々、彼と建物の外を歩いた。港のそばに、巨大なモールのような、スーパーが建っている。天気の良い日だった。当時は日本では見慣れない店舗の様子だった…。彼と、それから僕は別れ、ドーナツを買い、ホテルへ歩いた。夕方はやや涼しく、暑くても、脂っこいドーナツを見ても、食い気は失せなかった。まだそれとも、若かったからだろうか…。地下鉄は、乗り越すと、再入場しなければ戻れなかった。しかし、日本に比べれば100円ほどと、かなり安い。コストを考えると、当たり前といえば、当たり前の話だが…。

夜になっても、通りには色々な人が歩いていた。都市や景観が生み出す、なんと呼べばよいのだろうか…。治安自体が悪いようには見えなかったが、どこか、血の気を荒くさせられるような街でもある。人々は富や物欲に走り、宣伝や表現に身を震わせる。そんな粗暴な感じもしたし、それは、きっと、アメリカを象徴するような姿なのだろう。明るいけれども、どこか無感情な人が登場するニュース。薄暗く、音のないスーパーマーケットで僕は水を買い、見慣れない雑誌を買って、ホテルに戻る。色々なことが、新鮮だった。ビーフジャーキーも、確か、買ったと思う。ベルトや、革製の靴。日本のものよりも価格の割にできが良かった。やけに昼間は晴れていた。歩道の継ぎ目も見えなくなるぐらいに。そして、小さな、色々な、ミッドタウンの路地。

あの頃確かに、僕は、若かった…。誰かと路地では酒を飲み交わしたりもしていた。意味のない話を喫茶店でしたりしていた。帰りの電車ではいつものように流れる風景を見ていた。僕らの世代は、でも、特にこれだと言えるものをあまり生み出さなかった。でも何を探していたのだろう。雑誌や写真のようにはまったく、それは残らなかった…。表現はネットの中に掲げられ、そして、ログの向こうに消えていった。いくつか、旅行の思い出を僕はデジタルカメラで残していたが、それも、いつのまにかなくしてしまった。サッカーで全国大会に出ていた友達の横顔。得意げにエレキギターを弾いていたあいつ。それらを見守っていた女の子たち…。彼らは、一体、どこに消えてしまったのだろうか…。たぶん、声をかければ振り向いてくれるような、僕のそばにはいたのだと思ったけれど…。