地域と私

僕は金曜の夜の電車で気持ち悪くなり、休みのあいだじゅう吐き気でメシも食えずに寝込んでいたという。寂しいものだった。誰と関わることもできないというのは。なぜこのような、奴隷のような暮らしを選んできてしまったのだろう…、それにもなれてしまったが。今はあまり泣かなくはなったけれど、時々、そんなことを考える。昔は、埼京線で、僕はよく泣いていた。怒りや寂しさがこみ上げてくるものがある何の変哲もないあっけらかんとした風景。埼玉や池袋では、よく泣いている人を目の前に見かけたものだった。まるで永遠の思春期のような、語りえない青春が、あの地にはあったのかもしれない。
布団の中で、自分と関わりのあった人や事象について、できるだけ具体的に思い出していた。僕は住んでいた場所は目黒だったが、仕事は、3つ経験している。しかし、住んでいる場所は同じなのに明らかに街の様相や関わり合う人の表情は一変させられたのである。しかも、1つ目は目黒で、2つ目は埼玉、3つ目は赤坂での仕事なのにである。そう、重要なのは住む街ではなく、自分がどんな仕事をするのかによって環境というものが明らかに変化してしまうのである。部屋に泥棒に入られた時にしていた仕事。美容師に耳を出血するほど切られた時にしていた仕事。安くて若い引っ越し屋に、笑顔で運んでもらえた時にしていた仕事。色々なものが、紐付いていたりする。不気味なようだが、自分自身が、見えない縁を呼んでいたりするのである…。
日本に向かう、若かったり少し歳のいっていたりする、どこか純朴そうなタイ人の女性の姿を横目に、バンコクで僕は預かり所にあずけていた荷物を受け取ると、チェックインを済ませ、土産屋に、マッサージで軽くなっていた足を運んだ。