真実論

何でも無い時間、風だけの音がする。行方を追っていたある旅人は、最後の日記を更新してから、すでに音沙汰もない。僕はサイトをふらついて、立っていた。すると風の音だけがしている。去年は葉山でひと泳ぎしていたら、藻が多すぎて嫌になった。そんなことを覚えている。昨日までの雨が残る道、だけど虫一匹すらもいない、環境の変異。僕にもなんとなくわかる気がする。桜の咲き方も美しくはなく明らかにおかしかった。正しい咲き方がどんな風だったのかはよく覚えていないけれど。写真を見ても、感覚まで蘇ることは稀だ。そもそも見ている事自体が虚構を思わせるのは僕だけではないだろう。つまり真実は自分の中だけにあるのだ。人の真実だと思っているものとは異なる、自然や街の風景に存在する、何か。どこに身を置くにしても、そこにある正しさを手にすることはできる。自分の目を凝らすことで。それは目によって、でも、見えないことはない。それは、手によって触れられないこともない。そしてそれは、自分の中にあるのだ。その、虚構である、でも、そうではない手に。