桜と濡れた紙風船

外を少し歩いたらまだ少し、でも寒かった。今年も山火事が多いくらいに乾燥している。そうすると気温は上がっても寒く感じられるようだ。ネットやラジオの中では関税の話題で持ちきりだ。しかし、よく聞くと彼らの言い分にも一理はあるのだということが理解できる。証券市場などに溢れた米国の金は、米国の借金の金だというふうに捉えることもできるということだ。それを、精算するために関税を働かせる。これは金利以上の株価抑止力だろう。そんなことを、桜の、まだついている花を見ながら思っていた。それは、僕のまだ、残されている人生だろうか。どちらにしても、濡れた紙風船のように世の中は思わしくない方向に向かっている。