海に株券をばらまいて
こうして書いていることが、一日を確かなものにするのだろうか。そう、信じたいけれど。コンビニにコーラは必ず置いてはあっても、どれも、安くはない。だから、買ってこようとは思わないわけだ。街は、今日も、気づくと夜だった。昼頃は、暑すぎて、早く日が沈むことを願った。僕は茶を飲んだのだ。冬のように、それを熱くしようとは思わないし、冷蔵庫に冷えた茶を入れていなかったわけでもない。だから、それを、飲む。今も飲んでいる。でも、しかし、暑い一日がやっと終わった。
僕は年初に一括投資した金が、徐々に増え始めた。そして、利益確定する必要は無いのだと僕は感じる。そうすることは、逃げのように感じるのがその理由の一つだった。投資家である以上は、自信を持つことが投資する事以前に必要だと今は感じている。その根拠として、沈没する船の中でオーケストラを演奏し続けるというような態度をとっていた人々の存在が参考になる。はじめから逃げることを考えていては、その、自分の思った対象に投資をすること自体が意味を持たない。それは賽銭箱に札束を放り込むような行為なのである。前述した彼らは船が沈むことにも構わず、演奏をし続けた。現在上昇をし続ける米国株が下落してきたとしても、僕は、心の中では夢を見続けることをしたい。コンビニに高めのコーラも買いに行くことだろう。持っている株を紙切れに変える、その多くは錯綜によるものであり、確かな実感を伴った行為ではない。
海に行きたいと時には思う。焼け付くような太陽と、海水から、漂う、匂い。今は内陸にいるのだという風に感じる。夜も最近は暑くなってきた。