葉山のひととき
去年は葉山まで行って帰ってきて、僕はコロナにかかったことを思い出しながら、そうすることの意味をバスの中で知っていた。そうまでしてまで来ていたこの地の持つ意味を、バスの中から見えたレッドロブスターの看板に僕は感じていた。あまりにも高いロブスター、その新調されたペンキの外観から店はまだまだ順調な経営を続けているように思える。そして、何も自分とは関係はなかったのである。海に来るたびに、僕は色と光を見ては、走るというには細すぎる道を通りぬける満員のバスに揺られながら、着かないバス停の景色を空に思い浮かべては、いくつもの交差点を曲がる景色の向こうに目をやって、小ぶりな時々通り過ぎる新しくできた店の建物のドアをぼんやりと見ていた。
バスの中には色々な人が乗っていた。これだけの交通渋滞の中なのに目を閉じていられるのは運転手のおかげであって、景色が綺麗だと思えるのも彼なくしては得られない感動ではあった。出ていく時になにか声をかけるべきなのかも知れない。海はだんだん広くなってきて、そこから人々の出す声も聞こえてくるように思える、潮騒の中からだろう、木々の間を通って、見るのだろう景色が浮かぶ、きっと、そうすることが一番楽しいのだろう、まだ見てはいないものをあるものとして見ることが。すでに、ここにあるものとして。やがてドアの開く音がすると僕も後について出ていく、今日と過去が交錯するような感覚と意識の中で、どこに行くのかと一瞬だけ迷った。