池袋の記憶
多くのことが思いだされては消えていくように思えた。皿を洗っているときも、多くのことは、現れるだけで、何も与えることもないのだろう。そんなことを思い描きながら、この間訪れた池袋の店の長蛇の列を思い出す、無印であろうとカルディであろうとできていた。日常茶飯事なのだろうと僕は思いながら並んでいた。後ろの女性がレトルト食品の大量の袋を持っていた。僕はいつものようにして、スマホをいじりながら順番が来るのを待っていた。自分であることの確認のようにも思えた行為を、すでに僕は覚えていた。例えば、海を見ている時に時々手に持っていたスマホを見るように。僕は待つときにはいつも、そうしていていることで、時間をやり過ごしているように、僕の体は、いつのまにか、そうすることに慣れ親しんでいるようだった。
何も知らなかった僕は、今はどうしているのだろうと思う。今はどのようなことも知っている。横断歩道を渡る。僕は今日も手紙の出し方も知っているし、焼きそばの作り方も、僕の中で、確かなものとして、でも、見ているように、すでに、感じ取ることで知っている。
僕は株価の動きを見ることで何を知るのだろう、僕は雨のしている音の中でなにか一つの事実を知るのだろうかと思う、僕は、今日も、でも、僕は生きていることで…