キャンペーンのことは忘れたい

冬の間は自転車に乗ることはあまりない。歩いて、隣町によく行っている。途中、亀や鳥をよく見かける道だった。昔はもっと汚かったような気がするが、掃除されたおかげで、キレイにはなったが、そこから、バスやブルーギルの姿は、見かけなくなった。まだいる釣り人の姿も消えていくのだろう、多摩川の、丸子橋から釣り人がぱったりと姿を消したように。多くの人には関心を持たれないような問題だった。何も、多くの人には、そんなことは。僕は、口座開設のキャンペーンを取り逃してしまったが、悔しさすらも感じることもなくなったのは金の価値が下がっているからなのだろうかと思うのだ。しかし実際はそんなことはなく、今でも僕の中ではデフレは続いているのだ。松屋のカレーに700円は出すことはできないでいる。そして野菜をサイドメニューで追加することができずにいる。味噌汁の量が減っているのは明らかだった。20年に及ぶ値引き合戦が生み出したものとは何だったのかはわからない。わかったときが来た日に、日本は今よりも良くなっていると思う。そんなことを僕は思っていた。

時々テレビでやっている歴史ドキュメンタリーに目を留める、テレビでなければ、見ることはないものは確かにある。雑誌でなければ読まないものもある気がする。ネットに頼りすぎるのも、偏屈に思える気がする。僕であることを探すには、意味は無いのだろう。正しいことは、どこにあるのだろうかと、次郎ラーメンを食べて、二日後に腹を下した。生菓子も胃もたれを感じるようになっていた。冬でも揚げ物も食べたいとは思わなくなってきた。