今日も、ケンウッド

たぶん、時々、何かを考えている気がした。日曜日は、黄金町にアート展を見に出かける。しかし、黄金町バザールは普通の美術展とは異なっており、作家が滞在制作をしたものを展示するという展示方式だった。アートインレジデンスという展示方法は映像やコンセプチュアルアートなどに表現方法は狭まれるかもしれないが、非常に現代的な方法で、見ていて生々しくて面白いだろうと思い、僕は勇んでパンデミックの街へと出発したのである。電車に乗っていると、空が高くて、広かった。京急線に乗り換えると、急に、客層がローカル感満載になる。コミカルな表情を見せていた子どもたち。どこか懐かしさを覚えさせられた顔。僕は、特に、何も考えてはいなかった。歳を取るということが、しかしこんなにもつまらないことだとは。気づくと、電車は間違った方角へ進んでいるようだった。そして、路線が入り組んでいるので、選び取るのは大変である。どうやら、特急に乗っていたようだった。

僕は芸術について考えていた。僕の、でも、心それ自体のなかで。芸術がすでに、新しい感覚を生み出さなくなったのはなぜだろう。否定することは、そして、でも、昨日のことのように思える。感覚することなく肉体に感じさせられている空間なのだ。

街は、どこまでも続く。川の上に影のシルエットを落としながら。人は、見ている。今日の空や橋そのものの姿を目に焼き付ける。人は、振り返ることはなく、歩き続ける。何かそこに不確かなものがある、ベランダの上で。過去の、思い出される記憶を。僕は、そこで知るのだ。