

誰もいない午後。そして、空はやけに晴れていた。昔のことを、思い出させられていた。友達は、今は何をしているのだろう。僕は、最近は、webのおかしな仕事ばかりを。しかし、サーバー移転の案件というのは、結構多い。それがなぜなのかは、わからないが。最近はリダイレクトの仕事。非常に単純だったが、これが結構難しい。安いサーバーではメジャーな手法は使えないもので、最終的にjsでアクセスを飛ばしたのだった。スクリプトも、シンプルであるが故に、間違えやすいことだろうと思う…。僕の場合は、最初、カンマが異なっていて、飛ばなかった。記述のアプリでも、そこは表示されない。そういうこともあるのかなと、思わず口にしてしまう。
誰もいないからだ。外からも、人の声は、あまり聞こえない。車の音さえも。コロナ危機は、新しい人との関わりを提唱する。向こう2、3年で社会は様変わりしていることだろう。エンターテイメント業界と飲食店は間違いなく姿を変える。webを駆使したより、スタイリッシュな方向へと。学校も変わっていくことだろう。人間の社会は、スピードを上げすぎたのだ。今度は社会はよりエコロジカルな方向を趣向するようになる。でも、そうではないことはありえないだろう。経済活動は劇的なスピードで形を変えていく。そして、金銭は、どのような形で生み出されるのだろう。人との直接的な関わりはなくても、学力を落とさず、勉強をすることはできる。たぶん、そうだったのだろう。営業の外回りも、営業所に帰る必要性は、本来であれば、あまりない。自らの売上を保てるのなら、直行直帰が、よりスタイリッシュなやりかただと、新人はだれもが一度は考えるように。当時NYCへ、夏休みを増やして、出かけた。そこで見たものは日本人の僕にもありふれていたけれど、それは都市の姿の悲しさだった。古ぼけた照明の中、高圧的な態度の女性たちが、後ろで腕を組んでいた。