食したエビのタマリンド炒め

[slideshow_deploy id=’1380′]

これから時間がないので飯を食う前に、ブログを書いてしまおうという課題を自分に課してはいたが、そもそも、ペラペラな年賀ハガキが欲しいと希望する人自体、いなかったのかもしれなかった…。だから僕が今回、最近見かけるような、紙それ自体が手の混んでいる仕様にしたのは、人の目がそのような、平面による情報に慣れきらされているからである。そんな状況を踏まえ、見たときの反応を伺い知りたいという意味もあって、わざわざ作るのが大変だったハガキを渡しに、僕は渋谷まで年賀状を別納郵便で出しに行ってきたのだ。巷で時々散見する、凝った制作物も、立体的な作り。年賀状だけではなく、人が見る、紙に刷られただけの情報、それ自体との差を出すために。そういった流れに即した食べ物などのアナログなものが人をかき集める昨今だ。なにせ、立体加工がなされる必要もないのである。ZARAもamazonも、単なる視覚的な情報としてのみ存在しない、巷で見かけなことはない非常に強大な存在だとされている。ライブもそうだし、存在ありきの表現が、今はトレンドなのかもしれない。しかし、ただ、見慣れたwebコンテンツとの違いを出すために、単純に人々の間で見聞きするような、ワゴンセールのカゴの中にそれを入れて、手にとった時に初めてわかるようなものとして売り出してみても、単に、ネットでは手にすることができないものとしての一環として、セール自体が、商品が探しづらいというだけのイベントとして、手痛く批判されてしまうのである。そのようなこともあって、手に取ることができないものとの違いを認知させるため、告知物を立体物のような仕様にして、暗躍しているwebが蔓延した世界との、大きな隔たりを出しているわけなのである。それから、そのような店を回っていると、べたついている僕のシリコンケースの感触を、やはりその手で実感させられる…、楽しいのは、向かいにあるアップルストアだった。店頭で商品を展示しているような店の存在する状況の中で、なんとなく目を引かれたのはバッグなどが売られている六階だったけれど、ロフトの一階は、それなりのワゴンセールのお品が並んでいた。そして、展示されている剛性感のあるヘッドホンも、まるで、すでにべとついてしまっているケースに気づかされるような、かなりほしくなる、生々しすぎるほどのカッコよさだ。ただ、しかし近くの、あまりかわりばえはない、ルミネなどと比べても、できたばかりのパルコの内装やコンセプトは、シンプルすぎてとてもつまらなかったのである。自分の持っているフェイク品の、本当はあまり余計なことを考えてはいけないはずだったが、微妙であるそのクオリティ。最新のデジタル機器が、直接的に商品を体感し、買えるという点や、手にとってデザインを確かめた上で、気安く買えるという点が、きっと、アップルストアのコンセプトなのかもしれない。しかし奇妙なことが、でも、同じように直接的に、僕自身の身にも、もたらされたわけなのだ…。つまり、ファッションのように、その見てくれ自体に騙される場合もあるようなことが、アップルストアの良さなのだ。

僕はたぶんそんな、一年だったように思う。でもそれは今は、何事もなく無事に動いているのだろうか。そんなふうに、iPhonexのように、それは時には、微妙なものも多いけれども、そうだ。査定直前にそのバッテリーが故障したりと、しかし、おかしなことの連続だったのである。そして手にしては、また、落胆し、最終的に、それは売ったわけだったのだが。最終的に何を買うというわけでもなく…薄暗い部屋で僕は思い出していた。今は動いていることを、僕は心から祈っているのだ…。ぎくしゃくしていた一年だったけれども。ビックカメラさんに、最終的にiPhoneは納品したというわけだけれど…、僕はあとは、サブスクなどで損したり、アメリカからそれを、賠償してもらったりと、アコギな金絡みで、出たり入ったりが、激しかった。

ベトナム旅行で訪れたマッサージ屋を、僕は出た。学生の頃を思い出させられた勝ち気な顔を、僕に対して色気づかせることはできなかったわけだが…。それにしても難しい、楽しませることというのは…異性の、そういった顔立ちを。それから、行くところもなく、タワーに登ったりした。でもタワーはそこまで、高くはなかった。胸をときめかせる何かがあるようにもしかし感じられたタワー。美しい品々の雑貨屋を回りながら、そこで外国の夜景を感じていたものだ。やはり、それから、フランス料理を食べた。何もフランス料理だと言えるものを食べていなかったので、最後の晩餐は、そこにした。540万ドンと、ベトナムでは破格の、3000円する料理。僕は時間もなく、焦りつつエビのタマリンド炒めをいただく。エビの、目の前で焼いてくれたこの料理、その娘さんの前で食べているときは、あまりうまいとは思わなかった。その後しばらくしてから、それは、また食いたいと思わせるような、妙に癖になるような、どこか硬めの料理だった…。素材が、見解では、ベトナム産というのもあるのかもしれないと。タクシーに乗って、また、空港に向かった僕がいたのである。