ベトナムで私の財布がすられるまで3

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私は若めの店員の視線を感じつつも、香草を噛みちぎり、フォーを食い切った。人員が店の中で余っているようで、彼らは何人も突っ立っていて、そして暇な感じがした。そして店を出ると私は、口直しに歩き方に出ていた近所のファニーという名の甘味屋へ向かった。欧米人カップルがテラスで食べていたが、それを真似するには、いかんせん、しかし、蒸し暑すぎた。何となく、ただ、時折首筋を抜ける風は、涼しかった。私の日本とのはっきりしとした違いのようにも感じられる、暑さ。それは私には何も、イライラさせられるような類の暑さではないのである。私は案内されたテーブルに座っていた。出されたチョコレートパフェのような食べ物にスプーンの頭をつっこんだ私。しかし、それは、単なるチョコレートとはいえ、非常になまめかしい味で、驚いた。しかし、やはり乳成分が違うのかもしれない。コーヒー込で、それは、580円。途中、日本人のような人が、何人か私の後ろを通り過ぎていった。

クレカによる支払いを終えた私は若干の胃の持たれを感じながらも、通りを歩いた。この胃のもたれは、フォーの唐辛子によるもののように私には思えた。地面はNYCを凌駕するほどに凸凹している。カップルがつんのめりそうになりながら、そこを歩いていた。すると若干の、後ろから人の差し迫るような気配。ポシェットを私はたすき掛けにしていたが、人混みもなく、そこまで心配のいるようなエリアではないような気がしていた。そして、危険とされるベンタン市場が見えてきた。ただ、時刻は18時ぐらいで、夕暮れ間近だった。思えば、ニースで狡猾なニセ警官二人組から財布のチェックをされたのも似た時刻。酒は入っていなかったが、注意散漫になるのも、この時刻。バイクで危なすぎる信号を何となく渡っている時、背中に妙な感触がすると思って、手をやったら、すでにポーターのウエストバッグのチャックが開いていたという。その直前、注意をひくように前に現れた人物は、おとりだったのかもしれない。案の定、すでに中に入っていた財布はなくなっていた。ただ、小分けにしていた36ドルの入った封筒は無事で、スマホもポケットに入っていた。今思うと、被害額は8000円ぐらいかもしれない…。そこに入っていたクレカ3枚と免許証も一緒だったというのが、不注意のあらわれ。彼を立ち止まらせて問い詰めたが、「俺にはワイフがいる」の一点張り。財布はすでに誰かに渡したか、投げたのかもしれないし、股間などに隠しているのかもしれない。それはまた、非常に無意味な主張の一つだった。その服装は観光客風にされていたが、悪の道を選んで歩いてきた男のなせる、ビール腹の風体だった。このような男は、ろくな死に方はきっとしないだろう。金を無くした私はベンタンに入るのをあきらめ、ホテルに向かってとぼとぼ歩いた。シクロのおじいさんに声をかけられたが、今金をすられたところだと説明すると、苦い顔をして、彼もそこを立ち去った。