フェス活況

昼頃僕は、知っている店にいたのだ。こういった純喫茶は日曜は休みなので、なかなか入ること自体ができなかった。8年前にあったこち亀は棚から姿を消していた。ジャンプを手にとり前に来た頃を懐かしむようにして、そこで、読んでいた。僕はこんな幼稚な表現に夢中になっていたのかと思うと、そのことが、妙に、気恥ずかしかった…。ただそれは、小学生の頃の話である。ワンピースという漫画も読む気にはなれない作品の一つだ。私の世代の人でも、読んでいる人が、時々いる。もう、知っている人は知っている存在となったレミオロメンを検索したら、いくつか熱っぽいブログが出てきた。ネット上で更新すらされなくなった遺跡のような、当時の、感情としての、残骸。しかし、夢中だった当時の、彼らに寄せる心理が、赤裸々にそこにはつづられているのだけれども。彼らは、あれから一体、どうなったのだろう。結婚した人も中にはいることだろう。大抵は、当時住んでいた賃貸アパートで単身者としての生活を続けているのかもしないが…。

土曜日に親と会ったのは浜の離宮だった。猛暑日のあいにくの会合。もう、親に対して、すでに、僕は特別な感情は持っていない。ただ一人で生きていかなければいけないとぼんやりと思っていた。自分を信じられるような自信はまだない。浜の離宮の門をくぐる。新橋駅からけっこう歩くというのは計算外だった。しかし風はわりと吹いていて、それが、少し涼しかった。外国人観光客ばかり。都内にもこういった場所があるのかと思ったけれど、代々木公園や井の頭公園のほうがもっと自然感はあるような気がする。雑草を刈る人が、なぜだか知らないが…誰かがそうしたように、卑屈な目をして、こちらの方を見ていた。彼らにも、何らかの休暇が与えられることを、なぜか僕は願った。そこから親と話し合って、浅草まで水上バスで移動。やはり川ではなく沖に出るというのが船の醍醐味かもしれないと、タイを思い出しながら、考えていた。しかし、水面を見ていると、僕が幼かった頃のような感覚が、猛暑日の中で、そこにくっきりと浮かんだ。

ゲームやCDショップというのも昔はありふれた存在だった。子供が減り、ゲームセンターもなくなった今。高齢者をターゲットにした店が増えてきた武蔵小山の商店街。しかし、何か物足りない感じがする。若い人が集まる場というのは、必ずどこにでもあったはずだった…。来週のラップイベントのチケットをとろうとしたら、なんと売り切れていた。つまりは、フェス活況なのか。金にならないものは店として出す以前に倒れてしまうもの。独身を対象としたかのような中高年のみぞ知るバンドとの抱き合わせ販売も、世相を顕著に表している現象だとも言える。立ち寄った喫茶店で、昔から変わらないようなクリームソーダの味に感動しながら、一人で涙が出そうになった。