
調べておいた四川料理屋店でマー坊豆腐を僕は食べた。食うのは初めてだった四川料理。四川を、しかし、なめていた。だけど、辛いものはそこまで嫌いではなく、五反田などに展開する陳麻飯やタイカレーにはよく通っていたものだったが、それは、やがて運ばれてきた…。精通していたはずのマー坊の味は、はじめやけに熱いと思っていたら、実はそれは辛さだったのだった。それは、と言うよりも、ヒリヒリするような、痛さ。常識を超えた辛さに、食べ終わる頃には、完全に全身をはじめとした舌と胃壁自体の感覚がなくなっていた…。そして、汗でぐっしょり。慈悲深い顔で見られながら出されたデザートの杏仁豆腐が、ことを終えた女王様のようにやけに優しかった…。思い出してみれば、この杏仁豆腐食べたさだけに、ここにやってきたわけだったが…。それにしても、かつて食べたことのないようなインパクトの本格中華という感じで、またここに来たいと、何時間かして、一人で思った。
なんとなくこう、仕事自体がヒマだと、別のことばかり考えてしまうという…。思考は、学生か大手企業の女子社員に特有の、俗世離れした感覚。いつものように電車の中で考えることは、昼に何を食おうだとかそういうことだ。今日も部屋で飲むメキシコビールに舌鼓を打ったりと。そうしては、最近はツマミの選定にこだわりだしたりもしている…。はたまた、ブログばかりを書いてみたり。アイスコーヒーに生クリームをトッピングすることへの執着。ドトールで可能ならばやってみたい。バンコクの通りを思い出し、海外旅行でまた行ってみたいと考えてもいる…。あの、懐かしさのような感覚は何だったのだろう。田舎とも違う都会でもない情緒的な雰囲気と、不意をつくようなディレクションの、食べ物のなす美味しさ。日本国内や、欧州やアメリカにも行ったことがあったが、食べ物や風景に、どこか東京と同じようなものを、必ず、どこかしらに感じてしまうという僕がいた。
そこかしこで立ち止まるたび、未だになぜ、僕がオザキを聞いたりするのかというのがわからないことの一つ。DMM借り放題で山盛りでCDを借りてしまい音楽やエロはお腹いっぱいという感じ。だから、食べ物に走ろう。それが美味しいと思うもの自体を求めている。その瞬間は、久しぶりであり、旬であり、良い加工がなされた丹精の込められたものに共通する。体は少し疲れていて暑すぎるぐらいで、そこまで疲れきってはいない状態というのが、ベスト。ビールであればそんなロケーションが良い。昼間、ぼんやりと乾いた場所で飲むのも美味しい。例えばバドワイザーをよく晴れた日に、遠くを見ながらNYCの郊外でプシュッと開けるときのように。カイピリーニャという酒も甘すぎないほうが、現地で飲むと美味しいのだろうな…。ブラジルのようにはいかず、モヒートは相当甘くしないとライムがすっぱすぎるようにどこで飲んでみるにしても感じられてしまう。